イカ太郎オフィシャルブログ

裸足ブロガーの "自分の感覚を信じる生き方"

裸足で楽しむ色々な路面

(毎朝少しだけシンギングボールの縁をなぞって倍音を聴く。

体の力をリリースし、呼吸を楽にするための大切なひととき。)

f:id:ika14358:20170727072612j:plain

 

昨日の投稿を読み返していたら、

 

裸足で歩く場所は色々あるけれど、みんなどういう思いで歩くのだろう?

 

どんな風に感じているのだろう?

 

と思ったので、今日は「裸足で歩く路面たち」っていうテーマで書いてみようと思う。

 

下の写真は今朝ぼくが家から駅に向かうまでの間に裸足で歩いてきた路面たちの写真。

f:id:ika14358:20170727073721j:plain

たった700メートル、15分ほどの間だけど、いろいろあります。

 

アスファルトのやつ以外はすべて途中にある公園。

 

公園一つが多くのバリエーションを与えてくれる。

 

ありがたいことです。

 

じゃそれぞれ見ていくとしますか。

 

アスファルト

f:id:ika14358:20170727074207j:plain

 都市生活者にとって最も身近な路面。

 

アーシング(大地に生身の体を接触させること)やトレイル裸足が好きな人の一部にはアスファルトが嫌いな人がいたり、

 

まだ裸足経験の浅い人にとっては刺激が強すぎて敬遠されがちだけれども(僕もかつてはそうでした)、

 

僕は案外好きな路面です。

 

都市生活者が裸足を愛するなら、好きになった方が裸足をもっと身近に楽しめると思う。

 

そもそも自然ってなんなんだろう?

 

人が作ったものは本当に自然じゃないんだろうか。

 

人が生きること、存在そのものが自然だし、人間の体の中なんてある種の宇宙だ。

 

地球にとっては人の作ったものも自然の一部なんじゃないだろうか。

 

最近はそう思う。

 

人が作ったものとそうじゃないものとの間に線を引く必要はあるのだろうか。

 

アスファルトにはアスファルトの良さがある。

 

色んなアスファルトがある。

 

とても綺麗に舗装されたもの、月日が経ってボロボロになったもの、最初から大きめの粒で構成されているもの。

 

裸足になれば、その違いを発見することにも楽しみがある。

 

いつも歩いている道からも発見がある。

 

僕はそんなことを思いながらアスファルトを今日も裸足で歩いている。

 

 

フィールド・草原

f:id:ika14358:20170728073308j:plain

かつて大ヒットした映画に「プリティーウーマン」という映画がある。

プリティ・ウーマン 特別版 [DVD]

プリティ・ウーマン 特別版 [DVD]

 

田舎からロサンゼルスに出てきた女優志望の主人公が夢破れ、娼婦に身をやつして暮らす中で、何か物足りぬ思いを抱えた大富豪の男と出会い、新たな生き方に目覚める物語。

 

その映画の中で公園デートをするシーンがある。

 

主人公は男に裸足になるように促し、男は驚くが、公園で裸足になってゆったりと本を読んだり、一緒に寝転んだりすることに新鮮な感動をする。

 

草原で裸足になることは無条件に日常の意識から違う意識の世界への扉を開けてくれる。

 

慌ただしい日々を過ごしている人ならなおさらその感覚の違いに驚くことだろう。

 

足の裏の感覚としても面白い。

 

大量の情報が足の裏から入ってくる。

 

露出した土の感触、小さな小石の感触、いろいろな草の感触、草についた朝露の感触。

 

葉っぱによって足裏の感じ方も違う。

 

聴覚では「耳をすます」と言うが、足の裏の場合はなんと言うのだろう。

 

足の裏で草原の声に耳をすます。

 

頭から体への感覚のシフトがスムーズに行われ、自然と心は穏やかになっていく。

 

僕が毎朝駅まで向かう途中には、50メートルほどの草原がある。

 

小さな草に挨拶をするように歩く。

 

優しい気持ちが心の中に広がる。

 

余裕がなかった自分の中にポッと心のゆとりが生まれる。

 

都会では貴重な草原だから、ありがたく歩かせていただいている。

 

 

公園独特の道

f:id:ika14358:20170728075021j:plain

僕の裸足ライフの原点。

 

ikadventure.hatenablog.com

 前回の投稿で書いたけど、僕は横浜のみなとみらいで裸足デビューした。

 

海沿いの綺麗に整備された約3キロの散歩道。

f:id:ika14358:20170728075403j:plain

裸足初心者に優しい公園だった(もちろん今でもそうですw)。

 

3キロの道中には本当にいろいろな路面素材が使われている。

 

新鮮な驚きだったのは、素材によって違う温度だ。

 

違う路面になるたびに足裏で感じる温度が変わる。

 

特に好きだったのは赤レンガ倉庫前のレンガだった。

 

肌にしっくり馴染むような温度と感触があった。

 

そして程よいザラザラ感。

 

路面のザラザラ感は驚くほど心地よい。

 

裸足に慣れてくれば慣れてくるほどそう感じる。

 

あなたにとってもっとも馴染む公園の路面素材はどんなものだろうか。

 

公園裸足にはそういう冒険要素がある。

 

 

森の道・トレイル

f:id:ika14358:20170728184638j:plain

僕はまだそれほど経験の多くない路面。

 

裸足ランニングをする人たちと出会い、今年のかすみがうらマラソンを裸足で走ったり、毎年埼玉県の飯能で行われる裸足ランナー限定のトレイルマラソン大会に参加し、その打ち上げの飲み会で裸足の人たちと交流するうちに、山を裸足で歩くこと・走ることの魅力を知り、今年の春くらいから鎌倉近辺のトレイルに行くようになった。 

 

トレイルの魅力は何と言ってもその複雑な路面にあると思う。

 

アスファルト・草原・公園の路面はたいていフラットだが、トレイルには多くの要素がある。

 

坂道だったり・下り坂だったり、乾いていたり・ぬかるんでいたり、岩場もあれば、木の根が大量に露出しているところもあるし、落ち葉が積もっていて地面が見えないところもある。

 

一歩一歩すべてが単調じゃない。

 

ぬかるみに足を滑らせるかもしれない、木の根を思い切り踏んでしまうかもしれない、落ち葉の下に隠れている大きな石を踏んでしまうかもしれない。

 

そういう危険とも裏腹だから、フラットな路面では要求されないような感覚が要求される。

 

僕はそんなトレイルを一歩一歩味わうようにして歩くのが好きだ。

 

特に木の根っこが露出しているところが好き。

 

根っこが露出しているような木はたいていは大きく、ゆっくりとその根を踏ませてもらうと、木と対話しているような気持ちになれるのだ。

 

 

他の人たちから「山を走るのはいいよ」と言われていたので、最初は当然山は走るものだと思って走っていた。

 

しかし、山の魅力は路面だけでなく、景色の美しさという側面もある。

 

上を見上げれば木の葉の間から空が見えたり、太陽がキラキラしていたりするし、見たこともないような植物を見ることもある。鎌倉のトレイルではリスや変わった鳥などを見かけることもある。

 

走っていたら感じられないそういう要素を僕はゆっくり味わいたいと思った。

 

今はそう思っているけど、もしかしたらそのうち山を走ることの魅力にも気づいて走り始めるかもしれない。

 

きっとみんながあれほど夢中になるトレイルランだ。

 

走ることでしか感じられない素晴らしい世界があるに違いない。

 

 

(番外編)

ビーチ・砂浜

f:id:ika14358:20170728191134j:plain

 先月、6月4日に九十九里浜マラソン 20kmの部に参加した。

 

どこまでもまっすぐに続く九十九里浜の海岸線を、風に吹かれながら走る。

 

6月にも関わらずこの日は快晴。30度を超えるような真夏日になった。

 

実はこの日の数日前から僕は風邪を引いていて、治りきってない状態で走ったのだけれど、そういう体調不良なんてどうでもいいと思えるほど素晴らしい体験だった。

 

 

 

ビーチもまた変化に富んでいる。

 

波打ち際から遠ければ足が沈むほどフカフカだし、波打ち際の内側は公園の路面よりもフラットだ。石ほど硬くはないが、表面はカチカチと言っていい。

 

九十九里浜は小さな貝は少なく、大きなハマグリが所々に転がっていて面白かった。

 

湘南のビーチならハマグリが転がってるのはあまり見たことがない。アサリの貝殻なら大量に転がっているけど。

 

今の僕はそういった貝を踏んでも怪我をすることはないが、以前の僕の足の裏だったら怪我をしていただろう。

 

 

特筆すべき面白い特徴がビーチにはある。

 

温度だ。

 

アスファルト・草原・公園・トレイルなどでは考えられないほどの高温に砂浜はなる。

 

30度を超える気温でガンガンに日に照らされたアスファルトも砂浜を歩いたあとでは「冷たくて気持ちいい」、そう思えるほど夏の砂浜は熱くなる。

 

あの熱すぎるくらいのビーチを「アチチ、アチチ!」と言いながら歩いていると、「生きてるなぁ」って思う。

 

死んだら感じることはできない。

 

 

実は最近、湘南の海に週末行って、海に浸かるのが大好きになった。

 

海水に浸かって冷えた体をその熱々の砂浜に転がすと、最初は熱いのだが、その後熱に包まれるような感覚になって至福の体験ができるのだ。

 

上からは太陽の熱が体を包み、下からは砂の熱が体を包む。

 

大げさに言えば地球と一体になったような気になる。

 

僕は毎日そんな暮らしがしたい。

 

春も秋も冬も捨てがたいが、今まさに夏の海の魅力に取り憑かれているから、夏がずっと続いてくれればいいのにって思う。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

いろんな路面を僕はこんな風に感じながら裸足で歩いたり走ったりしている。

 

こうやって書いてみて分かったけど、裸足で歩くことで地面の変化に気づくようになる、そこにその面白さがあるのだと思った。

 

単調な毎日が、ただ裸足になるだけで発見の連続になる。

 

好奇心が刺激される。

 

好奇心が刺激されれば心は楽しくなってくるものだ。

 

裸足になることで体に意識が移り、最後は心が整ってくる。

 

 

ある裸足仲間がこんなツイートをしていたのが印象的だった。

 

 

 

彼は3人の娘さんを持つパパだ。

 

僕は娘が1人いるだけだけど、3人もいる彼にとって、家族を養っていくということは僕には想像もできないくらいの責任感を感じているに違いない。

 

そんな彼の暮らしを、彼の精神状態を支えてくれているのが裸足であり、一本歯下駄で走るということなのだ。

 

このツイートを見た時、唸ってしまった。

 

正気で生きるための根幹

 

そうなんですよ、まさにそうなんです。

 

裸足で、足の裏で、地面を感じ、刺激をインプットすることで、自分の行きたくない方向に自分が傾きそうになった時、ハッと我に返れる。

 

心の弁なんです。裸足は。

 

裸足で歩いたり走ったりする人ならその感覚に共感できる人も多いんじゃないだろうかと思う。

 

いろいろな路面を紹介するはずが、僕にとって裸足とはなんなんだ?ということに行き着いてしまった。

 

そう、裸足とは僕にとっての心の弁なんです。