イカ太郎オフィシャルブログ

裸足ブロガーの "自分の感覚を信じる生き方"

少しだけハッピー。そのくらいがちょうどいい。

(いつも通る渋谷の神宮前交差点のケヤキが妙に神々しい朝だった)

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昨日は夕食で暴食した。

 

どうやら昨日のブログ2本投稿で頑張りすぎたらしい。

 

前編を書き終わった時にすでにヘトヘトになっていたが、後編を書き終わった時には生もこんも尽き果てていた。

 

まだまだ「やらなきゃ病」や「頑張り病」は僕の中には内在しているらしい。

 

書こう書こうと思っていた不食・少食1ヶ月の振り返り記事を書けたことは嬉しかったが、ちょっと頑張りすぎた。

 

 

「頑張れちゃった」ならいい。でもちょっと今回は違う感じ。優等生な自分自身が後ろから背中を押していて、もう1人の出来損ないな自分がキャパを超えながらも無理して書いた、そんな感じがある。

 

だからきっとあんまりいい記事じゃないんじゃないかな。

 

もっと自然でゆったりと紡いだ言葉を伝えていきたい。読んだら気持ちがホッとするような。ここに来ると頑張りすぎてた自分に気づいてペースを落とせるようなそんな場にしていきたい。

 

 

暴食したので今朝は久しぶりに浮かない朝だった。

 

たくさん食べてなければこんなことにはならない。

 

いつもどおり肩甲骨や骨盤・脊椎を緩める簡単な体操をして、瞑想を始めたが、この状態は瞑想よりも走りにいった方がスッキリすると判断して走りに行った。

 

1km、2km、3kmと進むうちに気持ちが明るくなってくる。何も考えず、進んでいく地面を見ているとボンヤリしていた頭がスッキリしてくるのだ。

 

結局5km走って帰ってきた。

 

出発前とは格段に違う気分。

 

体操・瞑想・ランニング。どれも頭をリラックスさせる効果があるけれど、その時に1番合った方法を見極め、使い分けている。

 

状況によって瞑想がフィットすることもあれば、ランニングがフィットすることもあるし、体操がフィットすることもある。ソリューションをいくつか持っている方が飽きないし、対応範囲が広い。

 

 

走ってスッキリしたものの、胃腸の疲労は消えてなかった。この感覚が残っているうちは不食・少食特有の幸福感はやってこない。

 

仕事に向かう電車の中でも本調子ではないなぁーなどと思っていたが、乗り換えで横浜駅の階段を下って改札を出て、東横線の改札に向かっている時、ふとこう思った。

 

体調が良くなくてもいいじゃないか

 

良くてもいい。悪くてもいい。

 

そう思うようになってからあらゆることがラクになった。

 

善も悪もない。白も黒もない。すべてはいろんな要素が複雑に混じり合って構成されている。ハッキリした区別など存在しないのだ。

 

 

悪いことは一概に悪くはない。良いことは一概に良くはない。

 

だから今この胃腸が浮かない状態も一概には悪くないのだ。

 

おかげで不食・少食によってずっと続いてた多幸感を見直す機会になったのだ。

 

多幸感は躁状態だ。暴走に繋がりかねない。

 

 

少しだけハッピー。そのくらいがちょうどいい。

 

不食・少食実験を始めて4週間経ったので振り返ってみた(後編)

(この投稿は前回の投稿の続きです。)

ikadventure.hatenablog.com

 

 

不食・少食実験を始めてから5日目のウンチクライシスから脱出した僕は、翌日素晴らしい本と出会う。

無人島、不食130日

無人島、不食130日

 

10年前、僕を20日間の不食実験に誘うきっかけを与えた本、人は食べなくても生きられるを書いた山田鷹夫さんの本だ。

 

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)では秋山さん・森さん・山田さんという日本の不食界のスーパースター3人が出てくるが、僕が一番好きなのはこの人だ。

 

ぶっ飛んでて優しくて、好奇心旺盛で子供のようなチャレンジング精神を持った自由人。この本を読んでこの人がもっと好きになった。

 

興味のある人には是非読んでもらいたいので、中身については書かないけど、きっといい読書時間になると思う。

 

この本を6日目に読んだ僕は気持ちを新たにした。

 

 

断食や不食に関する本を読むことは、食べない日々の始まりにはとても有効だと思う。時折やってくる空腹感を半減させる効果がある。

 

空腹感が健康や幸せな気持ちを呼び込むきっかけになるのだということを「体で」理解できると、もはや空腹を感じなくなってくるのだけど、その前の段階では「頭で」理解していることがとても有効に働くように思うのだ。

 

 

この日の夜、こんなツイートをしている。

 娘と海に行ってきて、夜8時くらいに寝たんだけど、12時前に目覚めてしまったのだ。空腹で目が覚めるという感じではなく、休息完了!という感じ。不思議な感覚だった。

 

夜中にプログラミングや読書をするような習慣は持ち合わせていないので、自転車のパーツ交換などをして時間を潰した。

 

不食者の本にはよく出てくるのだけれど、不食を始めると寝る時間が少なくなるので、暇な時間が増えて時間をもてあますようになるらしい

 

それで暇だから食べたりしようかなって思うらしい。

そしてこんな風に感じるらしい。

 

生きるためには食べ物は不要なのに、人はなぜ食べるのか?

食べないと死んでしまうと不安だから食べるだけでなく、暇だから食べるのだと

 

なるほど、確かにそんな気はする。

 

空腹感を感じた時に食べるのは「食べないと死ぬ」と思っているからだし、ストレスを感じて食べることもある。お腹が空いてないのに、お美味しそうだからという理由で食べることもある。

 

食べることって一体なんなのだろう?

 

 

そんなどうでもいいことを考えたりしながら、朝を迎えるまでの間に体重を測っていたようだ。きっと暇だったから体重でも計ってみようと思ったに違いない。

 1週間で3キロ体重が落ちていた。

(結局4週間で6キロ近く体重は落ち、現在は57kg、体脂肪率5%だ。)

 

 

ここ半年ほど毎朝やっていた瞑想にも変化が訪れている。

 瞑想をやっていたのは、乱れる心を静めたり、頭の中をスッキリさせたり、いい気分になるためだったのだけれど、食べないことで、その全てが常時続くような感じになってくるので、不要になってきた。

 

食べないことで走ることも不要になりつつあったが、瞑想も不要になった。

 

さらに体の変化が起こる。

 カフェインに対する反応が強く出るようになった。

 

今まではコーヒーを何杯飲んでも熟睡できるような体だったのに、1杯飲むだけで心臓がドキドキして気持ち悪くなってしまう。コーヒー大好きだっただけにこれは残念な変化だった。(しかしその後また飲めるようになるのだけど)

 

 

 

8日目の朝、ついに奥さんに3食抜きにしたい宣言をした

 

前編で「3食抜きにするタイミングを見計らっていた」と書いたが、結局3食抜きにしてみたいという欲求を抑えることができなかったので、強行するような形になった。

 異様な反応はない、と書いているけど、奥さんの僕への愛情はこのあとどんどん冷めていく。。

 

今思い返してみると、このころは食べてないせいで多幸感がスゴかったが、そのせいでちょっと暴走気味であったように思う。

 

そして3食抜きの生活に入ったことでさらに変化が出てきた。

 

気持ちは多幸感でいっぱいなのだけど、

・体に力が入らない

・頻繁に立ちくらみする(脳に送るブドウ糖がなくなるので、脂肪酸が脳の栄養素に切り替わることで起こるらしい)

・高層ビルのエレベーターで一気に上に上がった時に起こる耳抜きが必要な状態がずっと続く(自分の呼吸音が邪魔して他の人の声がよく聞こえない)

・痰が出るので咳が出る

などの好転反応が出るようになった。

 

 

 

そうした好転反応で体調がいいとは言えない状態だった9日目の火曜日、清々しく仕事を終えた僕はバカなことを思いつく。

 

この状態でお酒を飲んだらどうなるんだろう?

 

毎年8月1日に知り合いのいる湯河原でお神輿を担ぐことになっている。そこでは普段はあまり飲まない酒を飲み、タバコを吸い、ハードに体も動かすので、どこまで自分にキャパがあるのかチェックしておきたいという気持ちがあったのだ。

 

帰り道、キリン一番搾りの350ml缶を一つ買って帰った。

 

いつも通り夕食は取らずにビールを飲み始めた。

 

カフェインが過剰反応するようになっていたから、きっとアルコールもそうに違いないと思って時間をかけて少しずつ飲んだ

 

1時間くらいかけて4分の3くらい飲んだだろうか、飲むにつれて部屋が寒いなぁと感じていたが、それがピークに達した。夏なのに寒くて仕方がない。ガタガタ体が震え始めた。

 

これはやばい!

 

そう思って慌ててお風呂にお湯を張って飛び込んだ。

 

40度でお風呂を作ったのだけど、ぬるま湯に感じるほどだった。

 

仕方がないので、お湯の設定を75度にしてガンガン温めた。

 

(このあとはツイートを追ってもらった方が臨場感があると思うので、ツイートを貼ってみます。)

 

 

結局1時間半ほど死線を彷徨うような思いをしました。5時間ほど経ったと思ったと思ったのにわずか1時間半の出来事!?

 

 ほんとに死ぬかと思いました。

 

目が覚めてからはアホみたいに元気だったので、調子こいたツイートを連発し、朝までグッスリ。

 

翌日は何事もなく次の日は送れるだろうと思ったけど、こうなりました。

 吐き気とかはないんだけど、とにかく体調が悪すぎて立っていられないだけでなく、デスクに座っていることすらできない。早退させてもらいました。

 

なんとか家までたどり着いて、、

 

この経験から僕はまた一つ賢くなった。

  

(あれから一度も飲んでないけど、きっと体調の安定した今は1杯くらいは大丈夫だと思っています。コーヒーが大丈夫になったように)

 

 

それから10日間ほどは痰と咳に苦しみました。

 

2週間では止まりませんでした。3週間かかりました。

 

 

この痰と咳の症状が収まってからは体は安定し、不快な反応はほぼなくなりました。

 

力の入らなかった状態も解消され、走ることもできるように。

(だいぶ弱っていたのでペースは遅かったけど)

 

 

しかし最後に大きな問題が立ちはだかりました。奥さんとの問題です。

 

このころ、家庭内は冷え切っていました。

 

食事を摂らなくなった僕は奥さんにとっては存在しなくなってきたようです。

 

これはマズイという思いが膨らんでくると同時に「なんとかしないとな」と思うようになりました。不食による多幸感に慣れて、冷静になってきたのかもしれません。

 

それで思い直しました。

 

『僕は「人は食べなくても生きられる」ということを知りたかったのであって、家庭を壊したかったわけではない。

本格的に不食を実験するのであれば、四国に一人でお遍路にでも行って、その時に1ヶ月間思い切り不食を試してみればいいじゃないか。

裸足で不食のお遍路なんて面白そうじゃないか。

だからその時がくるまでは1日1食家族と食べよう』

 

と。

 

そして奥さんに言いました。「明日から夕ご飯いただくね」

 

この時は冷ややかな目でしたけど、その後少しずつ奥さんとの関係も改善して、今は元に戻りました。

だからほぼ完全な不食は1週間で終わり。3週間目、4週間目は1日1食で過ごしてきました。

 

1日1食にしたら、不食以外のことも楽しむことができるようになってきました。

 敷き布団なしで寝るようになったり、

 

 娘のワラーチを作ったり、

 

 このブログを始めてみたり、

 

 食べ物の匂いで食べたような感覚になれたり、

 

 ずっと行ってみたいと思っていた千葉県金谷にあるコワーキングスペース「まるも」で月末に開かれる1泊2日のブログ合宿にノータイムポチリしてみたり、

 

 娘のワラーチに続いて自分のワラーチも改造してみたり、

 

 通り道のゴミ拾いをしてみたり、

 

 重曹クエン酸で頭を洗ってみたり、

 

 糠漬けを始めてみたり、

 

 家にある野菜を片っ端から生で食べてみたり、

 

 iPadで水彩画を描いてみたり、

 

 毎週海に通ってみたり。

 

 

そして極め付けはこれ。

 もう、信じられないくらい走れるんですよ。

 

1.6km全力ダッシュ。

皇居ランでは10kmランの最後に毎回これをやるんだけど、今までで一番速かった。疲れがなかなか溜まらず、もっといける!もっといける!って思っているうちに前の人を2人も追い抜いてゴール。

 

食べないことでできないことが増えるんじゃない。むしろ今までできなかったことができるようになるんだ。

 

これが僕の不食実験の4週間です。

 

 

最後に僕がこの4週間で一番感じてたことを書いたツイートを貼って終わりにしたいと思います。

 

 

「あらゆることが愛おしく思える」という、普通は綺麗事っぽいことが自分の中では嘘偽りなく存在している。

 

これが慈悲とか愛という感情なのかもしれません。

不食・少食実験を始めて4週間経ったので振り返ってみた(前編)

今日で不食やら1日1食やらを始めて4週間。

ほぼ1ヶ月経ったので、1ヶ月を振り返ってみようと思う。

 

10年前、そして今回と不食に興味を持ち実験してみた経緯については前回投稿したのでそっちを見てほしい。

不食との出会い

 

基本的にツイッターにその時感じたことをメモしてきた。

最初のツイートってなんだったんだろう?

 

これですね。

「食べない人たち」を読んだこと。

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

 

 

そしてこんなツイートが続きます。

最初の1週間は1日1食で始まったんですね。 

 

不食実験を始める少し前はどんな風に過ごしてたかというと、糖質オフを試してました。

糖質オフが流行っているのは知っていたけど、なかなか自分でやろうとは思わなかったし、そもそも糖質オフへの興味がなかったので、調べたり知ろうとすることさえなかった。

 

その流れを変えたのがこの本。

GO WILD 野生の体を取り戻せ!  科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス

GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス

 

裸足ランニングやトレイルラン、マインドフルネスを取り入れた生活によってより人間らしい生き方ができるよ、と教えてくれる本でした。

 

この本の中に糖質オフの話が出てきたのです。

 

本の内容にとても共感していたので、興味が湧きました。

と同時にもう少し糖質オフについて知ろうと思った。

 

それで読んだのがこの本。

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)

 

 むちゃくちゃ面白かった。

これでやってみよう! という気持ちが固まった。

 

糖質オフをやってみるといろんな発見があった。

印象的だったのは、

・お昼ご飯を食べても午後眠くならないこと

・空腹感を感じることが少なくなったこと

 

結果、日中仕事に集中できる時間が増えました。これはいいなって思いました。

集中できる時間が増えた上に現代病にかかる可能性が減る。素晴らしいじゃないかと。

 

そんな時期に不食と再会したのです。

 

普段ビブリアっていうアプリを使って自分の読んでいる本を記録しているんですが、

(このアプリ、シンプルで使いやすくてめっちゃいいです。読書好きならオススメ。読んだ本を記録できていれば本を所有しなくてもいいなって思えます)

このアプリで読んだ本の履歴を見直してたら、「食べない人たち」の前にもう一冊読んでますね。

「食べること、やめました」―1日青汁1杯だけで元気に13年

「食べること、やめました」―1日青汁1杯だけで元気に13年

 

これがめちゃくちゃ面白かったんですよ。

 

どうしてこの本と出会ったのかは残念ながら忘れちゃいましたが、脳が少しずつ萎縮していって5年ほどで普通は死んでしまう病気にかかった著者が、断食と生菜食で難病患者を次々と治してきた実績のある西式甲田療法の甲田医院と出会い、断食の日々を続けるうちに病気は治ってしまって、今では草食動物のような腸内細菌の状態を持ち、1日青汁いっぱいで暮らすようになったとうお話です。

 

実際ほとんどカロリーというものを取っていないのですが、この方はこれ以上食事をするとどんどん太ってしまうので、太らないように調整した結果、1日に青汁一杯というバランスになったそうです。

 

この本から僕の人生2回目の不食の冒険が始まりました。

 

人間は実は食べなくても生きていける」という信じられないような事実が果たして自分にも適用できるのかと思ったのです。 

 

朝ご飯と昼ご飯を抜くことから始めたのですが、糖質オフのおかげで空腹感を感じることが少ない状態になっていたので、かなりスムーズなスタートでした。

 

 

が、実際に始めてみるといろんなことがありました。

 

 

最初の壁は家庭。具体的には奥さんとの関係でした。

 

僕は10年前に奥さんがガールフレンドだった頃に一度20日間の不食実験をやって(失敗して)いるので、不食に興味があることを彼女は知っていますが、

 

彼女は食べ物に非常に興味があり、料理も好きで、食べ物の栄養の本を読んでノートにメモするようなタイプの人なのです。

 

そんな人にとって僕が食事を摂らなくなるということは、僕と一緒に楽しむ食事の時間を失うことを意味し、「人間は生きる上で食事による栄養が必要である」という大前提を否定されることでもあるのです。

 

そしてさらになかなかやめられずに困っているお菓子や間食に対する罪悪感を、僕が食べないことによってさらに膨らませてしまうという側面もあったように思います。

 

この頃こんなツイートをしています。

すでに朝と昼は食べなくなっていたので、彼女の中のストレスは溜まりつつあることを感じていました。

 

なので、3食抜きに切り替えるタイミングを見計らっていたのです。

 

そして3日目。こんなツイートをしています。

どうしても食事の量を減らしてみたい欲求に耐えられず、夕食で食べる量を露骨に減らしました。いつもは7時間半くらい眠っていたのですが、それより短い睡眠時間でも疲れがしっかり取れるようになってきてます。

 

睡眠時間が減らせるようになってきたことはこの頃嬉しかったことを覚えています。

 

4月から(今は7月後半)長らく続けてきた個人アプリ開発者としての立場を諦め、会社勤めを始めてました。職場のある渋谷まで片道1時間半。往復3時間。それまでの気ままな生活が一変し、やりたいことが全然できないなぁというジレンマに陥っていたのです。

 

しかし、

 それが少食を始めてすぐにこうなってる。

 

それがなぜなのかがその後のツイートでわかります。

メンタル面に変化が出てきていたんです。

僕の中に穏やかな気持ちがどんどん芽生えてきていた。もっとゆっくり生きていいじゃないか、死ななきゃいいじゃないか。そういう思い。食べないことで起こる体の変化がメンタルを変形させていく、そんな感じ。

 

この頃夕食に何を食べていたのか思い出させるツイートがありました。

そう言えば夜は味噌汁だけ食べてましたね。

 

しかしこの日(4日目)はシチューだった。選択肢はなかったので食べたのですが、ずいぶんお腹に負担が大きかったようです。 

 

そして5日目、1ヶ月間の間でもっともツラかった壁がやってきます。 

 ものすごくウンチがしたいのに、ウンチが出てきてくれないのです。

その後もウンチツイートが続きます。

 こうやってツイートだけ見返してみると、そんなにツラそうではありませんが、実際は1時間以上あぶら汗をダラダラ流しながら何度も何度もトイレに行って、それでも出てこないという絶望的な気持ちと肉体的な苦しみを感じていました。

 

 

(ちょっとこの後は汚い話になるので、覚悟して読みすすめるか、読むのをやめることをオススメします。このあと一旦話を切って、続きは次の投稿にする予定です)

  次の投稿はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして最後は思い切った決断をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の指でサポートしながら出すしかない! 

そうしないと肛門が裂けたり、痔が超成長する、最悪腸が破裂するような事態にもなりかねない。そこまで追い込まれました。

 

そして意を決して肛門に指を突っ込みます。

 

結果、、、

 

 

 僕の指とお腹の中にあるインナーマッスルのステキなコンビプレー。

指だけでは取り出せなかったし、インナーマッスルだけでも出すことは出来なかった。2人の力が合わさってようやく摘出することができました。

 

どれだけ硬かったかって、買ってきたばかりで封を開けたばかりの粘土の硬さってイメージできますか?

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アレです。もはやウンチという感じではない。

 

10年前に不食実験をした時には確かに宿便は出てきたけど、あの時は腸壁にくっついてた感じのものが剥がれましたっていう感じの見た目だった。乾燥ワカメみたいな感じのパラパラしたやつ。

 

しかし今回は大違い。カッチカチ。

 

糖質オフでナッツを大量に食べていたのが原因じゃないかと今は思っています。

 

 

 

 

汚い話ですいませんでした。

 

 

 

すべて摘出できたとは、それまでの苦しみも相まって、気絶寸前。そうして1回目の大ハプニングは終わりました。

 

しかし、数日後再び苦しい局面がやってくるのです。

 

(ちょっと長くなっちゃったので、続きは次の投稿にしたいと思います)

ikadventure.hatenablog.com

 

 

 

不食との出会い

先月の26日から不食実験をはじめて今日で20日。

1ヶ月くらい経ったら、ツイートをたどって、どんな日々だったかまとめてみようと思っている。

5日目と10日目にこれはマズイという局面があったが、今は非常に快適だ。

食べないとこれほど体が楽になり、気持ちも穏やかになるのかという発見はやってみないと分からないと思う。

 

 僕はもともと食に対する執着はあまりないほうだ。

食べることは好きだけど、「食べたいものある?」って聞かれても、「特にないなぁ」って感じ。

美味しければなんでもいい。

たいていのものは美味しく感じられる性分だ。

 

子供の頃からテレビをほとんど見ないで育ったことも大きいかもしれない。

小さい時から目が悪かったから、テレビはほとんど見せてもらえなかった。

 当然ファミコン全盛時代にもゲームさえしていない。

 同級生との会話はほとんど分からなくて孤独感を感じた時期もあったけど、今はそれでよかったなと思っている。

 

おかげで独自の視点を持てるようになった。

大人になった時、テレビを通した常識を持っていないことはプラスに働く。

みんなが当たり前に思うことが当たり前に思えない能力。

そういう経験が積み重なったことで常識を疑う目が養われた。

そういう感覚が僕を不食「人は食べなくても生きていける」という信じられないほど常識外れな世界に引き寄せたのだろう。

 

不食と出会ったのは、バイクメッセンジャー(自転車で荷物を運ぶ仕事)をやっていた頃に同僚から勧められた1冊の本だった。

人は食べなくても生きられる

人は食べなくても生きられる

 

2007年、ちょうど10年前のことだ。

夢中で読んだ。

 

ずっと貧乏していたから、食べなくても生きていける、お金から自由になれる、ということに希望を抱いた。

そして実行した。


4日間ほとんど食べずに過ごし、その後伊豆高原にある断食施設「やすらぎの里」で1週間の断食を行い、戻ってきた後さらに1週間、ホテルの配膳のバイトをしながら継続した。

 

18日間の断食。

 

やすらぎの里まではよかった。

フラフラながらも断食の気持ちよさを感じることができた。

しかし、その後ホテルのバイトをしながらの断食は無理だった。

肉体的にも精神的にもストレスがかかる状況では食べないでいるとただただ衰弱していく。

あの時はまさに餓鬼のようになった。

ガリガリで渇望感しかなかった。

 

「こりゃこのまま続けたら死ぬな」と思った。 

当時の彼女、今の奥さんの心配もピークに達していた。

そうして1回目の僕の不食トライアルは終わった。

 

だから今回の不食トライアルは10年ぶり2回目ということになる。

10年前よりも不食を取り巻く環境は変わった。

秋山 佳胤さん、 森 美智代さんという比較的一般ウケする不食者が現れ、食べないことや断食のの効能が世の中に以前よりは浸透した。


書籍も増えた。

 

今回もう一度不食に挑戦しようと思ったのは「食べない人たち」という本を読んだからだ。

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

 

10年前は僕の中であやふやだった「食べなくても生きていける」という考え方は、これを読んで確信に近いものになった。

これだけ多くの人が食べなくても生きていけるなら、僕だってできるだろうと。

今回19日経って、これほど心地よく過ごせているのは、その確信があったことが大きいと思う。

 

食べないことに対する不安感がないということは、空腹感を心地よく感じさせる上では非常に重要なことだ。

 

もし不食や断食に興味があるなら、書籍を読んで、「食べなくても人は生きていける」という確信感を少し育ててからにしたほうがいいと思う。

 

僕は食べないことを通して今とても幸せな時間を送れるようになった。

幸せな気持ちを感じるためなら不食や断食を選ぶ必要はない。

他にもいろんな方法があるだろう。

でも食べないことで自分がどうなるのか興味があるのなら、やってみるのもありだと思う。

 

 

正直なところ、食べないことを継続すると自分を取り巻く人間関係に悪影響もある。

僕の場合は、奥さんにストレスが溜まりすぎた。

自分は食べるけど、旦那は食べない。

それは大きなストレスになったようだ。

 

このままでは家庭が崩壊する。

 

そう思ったから、今週からは夕食を一緒に食べるようになった。

 

食に対する執着の強い人の前ではあまり不食の話はしない方がいいかもしれない。

 

 

「食べても食べなくてもいい。」

僕が目指したのはそこだったから、食べないことで快適に生きられることがわかった今は、食べないことにこだわる必要もないのかなと思っている。

 

不食という試みはとても面白いゲームだ。

こうしてみたらどうだろう?

今自分の中の感覚はどうなってるかな?

と考えたり観察したりしながら時間を過ごすことは楽しい。

 

そして何より空腹を感じることで優しい気持ちになり、寛大な気持ちが膨らんでくるから不思議だ。

断食を続けたブッダが優しく穏やかな人であった(らしい)というのは当たり前の結果だったように感じられる。

  

 

もしあなたがこれからそのプロセスに入ったり、すでに入っているのなら、その体験談を聞かせてほしいなって思う。

 

同じ興味を持つもの同士の会話は楽しい。 

裸足ランニングの仲間たちとの会話が刺激的で楽しいように。

 

不食・少食の世界でもそんな会話を楽しみたいな。